DISTRICT 37

なにか

9.11何をしてましたか

あの日は漫画喫茶でバイトをしてた。店の性格上、普段は静かなはずなのにお客さんが「マジか」とか「映画?」とか言ってざわついてたのを覚えている。その時点では詳細はわからなかったが、バイトが終わって家に着くと、普段はもう寝ている両親が起きていてテレビを見ていた。

「起きてたんだ、珍しい」と声をかけると、「テレビを見てみろ」と。見ると映画とかで見慣れたビルが燃え上がってた。聞くと飛行機が突っ込んだと言った。しばらくして崩れ落ちていくビルを無言で見続けた。

ふと、友人がそこへ旅行に行っているのを思い出して、慌てて電話した。返事は「電波の届かないところに、、、」と例のあれを聞かされ、とても焦った。今とは違ってWi-Fiが整備されてなど無く、国際ローミングなんて金持ちがやる事で海外旅行中は電源を切っているというのが貧乏人による海外旅行のセオリーだ。ただ電源を切っているだけだ、他に連絡を取るすべなんてないので、どうかそうであってくれと願った。幸い彼は無事だった。帰国後に話を聞くとその時にちょうどタワーの近くにいてそれを目撃していた。崩壊するタワーから命からがら逃げだしたと興奮しながら話していた。これが転機なのか定かではないが、彼は平和というのを特に意識する人物となっていった。

その頃は米軍基地のある街に住んでいた。厳戒態勢に移行したのか、ライフルを持った兵士がゲートを見張るようになった。それまでは武器といっても警察のように腰についているホルダーに収まった拳銃ぐらいだったのが、裸でライフルを持ち歩くようになっていた。出入りのチェックも厳しくなり、ゲートの前は入退場の渋滞が起きていた。今まではニコニコと出入りの人にハイタッチでもしそうな勢いだったゲートの雰囲気が、一変して緊張感を放ち始めていくのを感じた。身近にありすぎていて忘れていたが、ここは「基地」、つまり「軍事施設」で、そこにいるのは「軍人」だったのだと思い知らされた。

あれから15年以上経ち、基地にはその当時の緊張感はさすがにない。年に一回行われる基地解放のお祭りも復活している。しかしあの事件により人の心に、街の雰囲気に、今尚その光景は刻み込まれているのだと思う